2013年07月01日

高札場の復元に貢献した”まほろば会”

高札場~1.GIF

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上原しゅんなど幼馴染が集まって結成した『まほろば会』によって、高札場(鎌倉〜江戸時代の掲示板、お触書)が復元されましたが、その頃のまほろば会の活動が30年前の地域誌『かぎろひ』に掲載されていたと、昨日写真を交え掲載しました。しかしながら写真がはっきりしていないとの声があり、以下記事を再掲載します。

〜〜30年前発刊された地域誌『かぎろひ』より〜〜

◆私たちは、私たちの町の現在も過去も勉強します。◆

街角に”高札場(こうさつば)”奈良町南都まほろば会

奈良市もちいどの商店街の北入り口近くに高札と書かれた、小さな掲示板のようなものがあるのをご存知だろうか。それを作ったのは,”南都まほろば会”の北浦さんをはじめとする歴史班のみなさま、今回はこの南都まほろば会を取材して来た。
 この会は、『会員相互の親睦と、地域の文化的、経済的発展を計る』という主旨を揚げて、8年前奈良市橋本町の商店の若だんなを中心に結成された。実際集まったのは、幼なじみがほとんどだそうだ。
 ところでこの会の活動内容だが、これがなかなか活発なのである。月に一度の勉強会では、町の歴史だけでなく、店の顧客作りといった問題まで話合う。この1月には”昔を学ぶ前に、まず現在をよく知ろう”と
町並み調査も行った。他に、町内の老人の面識調査、早朝大清掃、朝食会。三年前から始めた地蔵祭りは、会員の小さかった頃を懐かしんで始めたものであるが、この場が、様々な研究、活動の成果を発表する場ともなっている。橋本町の地蔵は現在興福寺の南円堂に安置されているが、実はこれ、町有のものなんでよ。と話して下さった。
 で、高札場についてであるが、この高札とは、”禁制・法令などを民衆に周知させるため、室町時代・江戸時代に街頭高く掲示した板札のこと。その一番大きなものが、三条通り橋本町にあったのだそうだ。これを復元することが、文化的発展につながれば、と復元を計画し、その一段階として、店先にあったミニチュア模型が出来たというわけだ。
 平均年齢つい最近まで27、8だったんですけど、という若さが、この活動力の源となっているのだろか。
 最近では、他の商店街の集まりとも交流が増え、お互い良い刺激になります。と広報係の松森さん、これからの活躍、期待しています。


〜〜〜高札場についてご紹介〜〜〜

かぎろひNOWさんのブログをごらんください。
http://kagiroi.narasaku.jp/e38440.html
posted by しゅん at 11:52| Comment(0) | 日記

2013年07月02日

采女祭

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上原しゅんがボランティア活動の一端として続けていることがある。
春日大社の神事として毎年中秋の名月の日、猿沢池湖畔を中心にとり行われている采女祭(うねめまつり)。上原しゅんは南都まほろば会として采女祭のお手伝いをさせて頂いているのである。南都まほろば会メンバーは采女祭り保存会会員としてもう20年あまり前から、采女祭の行列のお世話、ガードマン、池に浮かべられた献灯船の世話や龍頭船(りゅうとうせん)、鷁首船(げきしゅせん)の船頭等々、采女祭を無事に終わらせるためには、彼らはなくてはならない存在である。また、猿沢池に浮かべられる、2艘の木造船は、考慮の結果伝統を絶やさないためにも、名船大工さんに頼み、新造船を作ることになりました。そこで寄進を募るため上原しゅんと南都まほろば会メンバーも走り廻った。それまでは船頭さんまでも雇っていたが、それから現在まで南都まほろば会のメンバーが、毎年船頭衣装で、船を操っているのである。そういった伝統的なお祭りも観光の大きな目玉となっている。観光都市奈良として、そうした活動も絶やすことなく続けていかねばならない。
今年も采女祭は9月19日(木)中秋の名月の日に行われる。


*上記記事の中で一部間違った記載がありましたので、修正いたします。
大変失礼致しました。


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posted by しゅん at 09:54| Comment(0) | 日記

2013年07月03日

奈良県里程元標(ならけんりていげんぴょう)?

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 上原しゅんと南都まほろば会が尽力し、復元さ

せたものがもう一つある。

奈良のもちいどの商店街の北の入口近くに高

札場があることは7月1日のブログで紹介させ

ていただきましたが、高札場の横にヒノキ作り

の3メートルほどの柱が建っているのをご存

知でしょうか?これは何ぞや?『奈良県里程元

標 奈良橋本町』??と墨で書かれています。

里程元標ググッみると。。。【昔から主な道

路の起点、終点の基準となる里程元標や里

程標などといった標識がありましたが、1919

年(大正8)、道路法によって道路元標を各市

町村に置くことが定められました。道路元標

は市町村役場の前や主要な道路の交差点に

設置されていることが多い。しかし、道路元標と

里程標は現行の道路法第二条では「道路の

附属物」とされているだけで特に定められたも

のはなく道路の起終点は道路元標と無関係に

定められています。取り壊されたり工事などで

消滅したものも少なくありません。】とある。

これも大正期に奈良の距離の基点として建てら

れていた物です。が基礎石だけの姿になっ

ていたものを、2010年に、上原しゅんと南都ま

ほろば会のメンバーが、寄進を集め復元したも

のだ。京都、大阪、三重などへの距離が書かれ

てます。これも歴史のメモリアルとして語り継

がれていくことでしょう。

 詳細については『鹿鳴人のつぶやき』の

ブログで紹介されています。
 

http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-9ada.html
posted by しゅん at 12:54| Comment(0) | 日記